祈りの偉大な力 第1部第2章

第二章 祈りの効果
一、祈りの偉大な効果とその価値
神は私たちの祈りを喜び、私たちが祈ったとたんに、それを献上するようにと天使たちに命じられた。神はいかに祈りを重視しておられるかは、聖書に沢山の言葉が散りばめられています。私たちは救われるために闘い、勝たないといけないが、私たちは弱い!勇気を出しなさい!使徒パウロにならい言おう。「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」(フィリピ四・十三)。祈りは万能であり、祈ることによって、神は私たちに不足する力を与えてくださる。祈りは悪魔の襲撃に立ち向かう強力な武器であり、どんな災厄からも守り、どんな嵐にも避難できる港であり、同時にあらゆる良きもので満たしてくれる宝物なのである。
二、祈りと誘惑
祈りが必要であることが、私たちにとってどんなに有益であるかを神は御存じである。だから、神が約束なさっておられる助けを私たちが願うように、神は私たちが敵の攻撃にさらされるのをお許しになるのである。私たちが危機に際して神によりすがれば神は喜ばれるが、私たちが祈りを怠れば不快に思われる。同じように、誘惑にあった人が、神に助けを求めないならば、神は裏切られたように感じられるのである。神は助けることを望まれ、私たちがそれをご自分に懇願するのを待っておられるのである。祈りは神をなだめ、願うものを得させ、敵を負かし、弱さを力に変えて、罪人を聖人に変貌させる。
三、祈りの効用
主は私たちの祈りを聞かれると、心を動かされる。私たちのうめきを長く放置せず、直ちに答え、私たちが願うものをくださる。神にはいつでも私たちの祈りを聞く用意があり、その願いをかなえようと待っておられる。神が謙遜に祈る人の祈りをかなえてくださらないことは決してない。しかも、私たちがまだ祈っているあいだに、既に恩恵がくだっているときもある。
四、大きな恵みを願うこと
聖アウグスティヌスは言います。「あなたは全能の神に祈るのか?ならば何か偉大なものを願いなさい」。王様にたった一枚の貨幣、一セントしか願い求めないなら、王様を侮辱することにならないだろうか?反対に、私たちが自分の惨めさを承知し、神の恩恵を受けるに値しないと意識しながらも、神にとてつもなく大きな恵みを願うなら、それは神の栄誉となり、神の憐れみ、寛大さを称えることになる。それは神の愛、約束に忠実な神への信頼を表すことでもある。神は祈るものには、望むすべての恵みを与えると約束なさっているからである。「望むものは何でも願いなさい。そうすればかなえられる」(ヨハネ十五・七)。私たちが主に恵みを願うと、主は非常な名誉と慰めをお受けになり、あたかも主は私たちに感謝なさるかのようである。それは主が私たちを恵みで満たせるように、私たちが主に道を開いてあげたからである。その結果、神は全ての人たちに良いものを与えたいというご自分の意向を満足させられるのである。神は求められると、惜しみなくふんだんに、常に求められる以上をお与えになる。神の富は無尽蔵で、与えれば与えるほど、さらに増えるからである。このように、私たちが全力を尽くして務めるべきことは、祈りこそが天国のすべての宝の扉を開くと堅く信じて、信頼をもって祈ることである。祈りは宝であり、祈れば祈るほど私たちは多くを受ける。念祷のもたらす最も貴重な成果は、堅忍し、救いを全うするために必要な恩恵を神に願うことである。完徳に達するには、黙想と祈りが必要である。私たちは黙想によって何が欠けているかを知り、祈りによって不足しているものをいただくからである。
五、本章の結論
祈りなしで救いを得るのは極めて難しい、しかし、祈るならば、救いは保証され、簡単に得られる。救われるために、「神さま、私を助けてください。主よ、私を支え、私を憐れんでください」と祈ることを心がけるだけで足りるのである。祈らないことには弁解の余地はないことを固く銘記しよう。祈る恵みはすべての人に与えられているのだからである。祈ることは、それをしようと思うだけでできるのである。救いに失敗するとすれば、それは祈らなかったという理由しかない。