栄えの神秘1 イエスのご復活

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 愛する人よ、考えましょう。立派な正しい議員、アリマタヤのヨゼフやニコデモはピラトにイエスの下げ渡しを願い、それからイエスをとりおろして香料と一緒に亜麻布でつつみ、岩に掘られた墓にイエスをおさめ、墓の入り口に大きな石を転がして立ち去りました。祭司長たちは、三日目に復活するというイエスの預言を思い出し、その場所を監視することをピラトから許可を得ます。「そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた」(マタイ二十七・六十六)。私の神よ、何と不十分にしか信じることができないのか!おお、人の知恵よ、何と主に対して疑い深いのか!私たちは疑いながら主の栄光に仕えています。イエスは、聖なる金曜日に亡くなり、ご自身の神性の力で三日後に復活します。体から離れた聖なる魂は常に神性に一致したままであり、常に神の魂でした。聖なる御体は魂から離れているが常に神性に一致したままであり、死者の状態のまま神の御体でした。イエスは神として、解放者としてリンボに降りました。愛する人よ、聖なる霊魂たちが既に長い間待っていたことと、主を見たときに、どのような感謝そして賛美を捧げたかを考えましょう。あなたもまた天国に導かれる日を彼らのように願わないといけません。聖なるイエスの御体は墓で三日間休みます。なぜなら主の苦しみと死によって、完全に自然の法の下そしてモーゼの法の下に生きていた三歳以下の人類を永遠の死から解放し、恩恵の法の下生きるようにするためです。三日目の夜明けになると汚れのない御母の胎内から一瞬で出たように、閉じていた部屋の真ん中に突然現れたときのように、イエスはご自身の力によって一瞬で死から復活し閉じた墓から出ました。全能の神として、独房で秘密に働かれ、どのように主が復活したかを明らかにすることを望みませんでした。しかし主の復活は、神の秩序に属するものとして天使たちを通して人類に明らかにされなければなりませんでした。「すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。 その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった」(マタイ二八・二~三)。一人の天使は墓を警備していた全ての番兵たちを怖がらせるのに十分でした。彼らは死人のように地面に倒れ、全て逃げました。祭司たち、律法学者たちファリサイ派の人たちのところに行きなさい。誘惑者と言って死人に対して警備させていた彼らがどのような状態になったか見なさい。もしあなたがイエスのことを、あなたの不安を落ち着かせる古代ローマの神々、モーゼ、マホメットのような著名な人と同じであると考えるなら信じていないことになります。しかしその英雄たちのだれがまだ生きている時に「三日後に復活する」と言えるだろうか?この驚くべき言葉は神の御子だけのものです。作り話でも、悪意でも、悪魔でも、人間でも、同じような崇高で力強いことを想像することはできません。誰も番兵に触れていませんし、言葉もかけていません。ただ全てのことを見ただけで彼らはそのようになりました。番兵たちが誰も死なないで、立ちあがって逃げることが出来るのは、彼らはキリストの死と復活の議論の余地のない目撃者であり、はっきりと兵士たち自身で敗北を理解してもらい、そして鞭打ち、茨の冠で苦しみ、そして死は、主が望んで行ったことを全ての人に理解してもらうためでした。私たちは、神が選り抜きの証拠を私たちに与えたとしても復活の神秘を理解することはできません。おお神の御子よ、これは私たち全てにとってなんという慰めでしょうか!ですから私たちはあなたのなかでしっかりと信じます。栄光の救い主よ、あなたの復活は敵たちを恐怖で満たしました。しかし私には喜びと慰め以外ありません。なぜならあなたの復活は神と私の和解そして神による義化を私に保証するからです。あなたの復活は、恩恵での霊魂の復活と最後の復活の模範です。そして、あなたは復活するとき新しい命を手に入れたように、私たちも罪から恵みに復活し新しい命を生きます。主よ、私がこれから出会う障害に勝つために助けてください。救いの敵を取り除き、聖なる天使たちを送り、あなたが至福の天国を私に明らかになるその瞬間まであなただけを選ぶ恩恵を与えてください。

愛する人よ、マグダレナが最愛の先生の墓から離れるときの苦しみを考えましょう。金曜日の夕方、最愛の先生の墓で涙を流し、土曜の夕方、聖なる墓から離れます。もし香料を買いにいくのでなければ、離れることはありません。そして日曜の朝に戻ります。神に心から改心した人の高貴な模範!人の心は確かに弱い、しかし神への愛が力を与えます。「愛は死のように強い」(参照.雅歌八・六)ので真の愛は愛する人の死によって消えません。マグダラのマリアが仲間を起こし出発するのを急がせたときまだ夜であり、そして充満した月は地上に明確な光を広め続けています。彼女にとって時があまりにもゆっくり流れるため日が昇る前に行きます。おお、私は生ける御体を受けるためイエス・キリストのところに行くとき、埋葬されたイエスの御体のためにマグダラのマリアがもっていた同じ望み、聖なる焦り、愛情深い配慮をなぜ持っていないのか?私は彼女のように愛していないので、彼女からとてもかけ離れています。愛する人よ、御聖体のイエスをたびたび訪問するとともに、マグダラのマリアの熱意をまねましょう。御聖体の前で彼を受け取る優しい心と燃えるような願望を口に出しなさい。そして霊的聖体拝領によって、日中に空いている時間や夜目がさめた時や朝最初に起きた時などに頻繁に主を心の中で抱きしめることが出来ます。「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た」(ヨハネ二十・一)。彼女を驚かせた最初のことは大きな石(大神官の命令で封されていた)がその場所から外にあり、ひっくり返されていたことです。彼女は前に進み、墓の内側まで視線を広げます。そして神の先生の御体がそこにないことを見ます。彼女はとても驚きます!そして彼女は考えます。主は夜の間に誰かがもち運ばれた。しかし、どこで再び彼を探せばいいだろうか?「そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。『主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません』。そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。 続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った」(ヨハネ二十・二-十)。

愛する人よ、イエスを見つけられないマグダラのマリアの苦しみを考えましょう。そして神に心から改心した人の心の苦しみがどうあるべきかを学びなさい。彼女はその場所から離れません。「しかし、マリアは外で墓のところにたたずんで泣いていた」(ヨハネ二十・十一)。泣きながら、身をかがめて墓の中を見ると、二人の天使が不意に現れたが驚くことはなく、彼らの美しさに目がくらむことなく、彼らの言葉に興奮することもありません。彼女は天使を見て話をしますが、どこにイエスがいるのかを知るためで他のための言葉はありません。もし天使がこの質問に説明することが出来るなら天使を園丁として残すつもりです。彼女は、全てのものが彼女の涙の原因を知っていると考えます。そしてイエス自身をも園丁と間違えます。彼女は、最高の人を迎えるかのように主のご遺体を一人でひきとるために捧げています。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります」(ヨハネ二十・十五)。真の愛は何と勇敢なことか!全ては真の愛にとって容易なようです。最悪の苦痛が示されていますが、数えきれないほどの多くの殉教者に見られる同じ勇気で尋ねます。そして名前を呼ぶ主の声を聞いて彼女は何をするだろうか?イエスの十字架から決して離れようとしなかった彼女は、墓から離れることができませんでしたか?愛する人よ、見なさい。それらは心から悔い改めた人の崇高な結果です。そのとき彼女の心は聖なる三位一体の大きな満足と喜びそして恩恵の対象、天使たちの賛美になります。この神の救い主は、大きな喜びとともに彼女の気持ち、望み、愛、忍耐、勇気ある熱意を見ます。それで全てを始める用意ができます。彼は最も清く言いようのない純粋な喜びで彼女の心を満たすことによって改心した魂の愛に報います。もしイエスがマグダラのマリアの高潔な気持ちを私のなかに見たいならば、どうなりますか?しかし私の心には、彼女と全て逆のものがあります。私は、地上の楽しみのために、そして欲望をかなえるために力を越えて物事を行っているので、私の心は、何もなく、無力になっています。イエスよ、私はあなたを真の先生として認めます。私を弟子として認め、私の心に現れ、神の愛で私の心を燃やしてください。神の口から何を聞きますか?おお主よ、あなたはもはや彼弟子たちを僕とは言わず友と言います。おお、救い主の燃える愛!あなたは、わずか数日前に敵の手に残して恐怖の中で逃げた人たちを友と呼びます! おお私の恩人よ!あなたは彼らに不平を言うことなく非難もしません。しかし愛情こめた称号である友と呼びますか?あなたは既に赦しを与えて安心させるだけでなく、使徒たちの名誉ある頭の職を、敬意とともにペトロに与えます。イエスの愛は何と人類の子たちに対して激しく、罪人に対して常に甘美でやさしいことか!そして道を踏み外した子に対して、常にやさしく憐れみ深い良い父の足もとに、身をゆだねに行かない愚かで頑固な罪人は誰ですか?ペトロはすぐに罪を赦されました。なぜなら彼は金曜日に倒れましたが、すぐに後悔し最も聖なる乙女の足元に急いでひれ伏しに行ったからです。その時彼は大きい涙とともに言いました。「貴婦人よ、許してください。この不忠実な僕は人の恐れのためにあなたの子である神を否定しました」。それを聞いたマリアはペトロを慰めます。イエスは、御母が望んでいる全てのことに反対することはないのでペトロに赦しが与えられたのは全く疑いありません。罪深い魂よ、多くの罪の再発のために、イエスに頼る勇気がないとき(もっとも彼はやさしく憐れみ深いが)、神の憐れみの泉である御母に助けを求め、信頼とともにマリアのも足とに行きなさい。マリアはあなたのために罪から離れる手段と心からの悔い改めの恩恵を御子から獲得するでしょう。イエス・キリストは私たちの罪の贖いのため犠牲になった最も聖なるその人性をマリアから受け取ったので、死ぬべき命の流れのなかで獲得する全ての功徳の宝をマリアに渡します。おおマリア、あなたは最も受難に参加していたので、復活したイエスを見る喜びを最初に受け取りました。変わり果て息を引き取った主を腕の中で抱きしめ最後に十字架を離れたのと同じように、あなたは天使たちと聖なる魂たちの中にいる栄光に満ちている彼を最初に見ました。彼は、三十三間の人生で苦しんだ全てをあなたが人類を共に贖うものとして共に苦しんだことに感謝しました。私もこの魂の喜びに参加させてください。そして私の心を燃えるような願望で満たし、心から改心させ、全てをあなたに引き寄せてください。そして十字架につけられた主の苦しみの全てを私の心に刻んでください。アーメン。

(神への改心) 神への愛に前進し、神に心から改心するのに邪魔となることを考えるために良心を調べなさい。今日聴罪司祭の助言で有効な対策を手に入れ、不熱心な状態から立ち直り、熱意と愛の新しい命を手にいれなさい。「主よ、あなたを侮辱する前に死なせてくだい」と繰り返しながら、神のみではなく、守護天使にも悲しみの原因にならないという断固とした決意で十五回にわたるこの一日のコースを更新しなさい。

(短い祈り) おお、マリア、世界の女主人、私の心にある不安を取り除いてください。

(聖体拝領前の祈り) イエスよ、まさしく今日、私はマグダラのマリアの愛と熱意を持つことを激しく望みます。私の魂は罪深い。しかしマグダラのマリアの愛と熱意を誰が与えましたか? あなたは愛のために人となられた永遠の御言葉そして永遠の喜びと全ての愛の源でありませんか?それゆえ揺るぎない愛であなたと一つになるために、あなたを迎えることを望む今日、私はどの位希望しなければいけませんか?ペトロとヨハネと共に私もこの食卓にあなたの愛に、あこがれと熱望とともに駆けつけることを望みます。彼らはすでに復活したあなたを見つけませんでした。しかし私はこの祭壇で人となられた神であるあなた、その魂、御体、御血と神性を見つけるでしょう。復活したあなたは使徒たちの信仰を強めるために何度も現れました。神よ、自らの力により復活し死者と地獄の勝利者であるあなたを信じるために私に現れる必要はありません。天の栄光であり神の御父の右に座り現存するあなたを信じるために、司祭の手の中にある聖なるホスチアを見るだけで十分です。もしあなたがマグダラのマリアそして信心深い婦人たちその後エマオの弟子たちに示したように、私にあなたを見せるようなことがあるなら!それでも、あなたはもっと見せます。あなたは私に恩恵を与え、さらにもっと与えます。あなたは天国で明白に御顔を見せることを私に約束します。ここはあなたを見ることを望むべきところです。そして主よ、私はあなたに会えるでしょうか?よきイエスよ、その祝福された永遠の日を期待する間、崇高な信仰と偉大な希望に完全に一致して、信じ、希望し、生きるようにしてください。神よ、あなたの栄光の美しさを見て、あなたを所有するときまで、あなただけを探し、あなただけを望むようにしてください。おおマリア、イエスの真の母そして私の母、御子の復活を待つあなたの生きた信仰によって、私の罪で傷ついたあなたの息子と私を和解させてください。そしてこの心を改心させてください。主は弟子たちに現れたとき、「あなたに平安」と言い、平和を与え、御傷を示しました。私は、イエスが弟子に与えた神の息吹を彼の御傷、御血、神性とともに感じることが出来る、まさしく今日、全てを希望します。ええお願いですから、イエスとあなたの愛で私の全てを満たしてください。容赦ない敵との戦いの真っただ中で静けさと安らぎを手に入れるために、勇敢で熱心な平和を与えてください。おおマグダラのマリア、イエスの尊い御体に芳香をつけに行く聖なる女性よ、最愛の御心の燃えるような願いに応じるために、このよき神に、最も純粋な愛情と改悛の香油を捧げるために助けてください、アーメン。(必要とする恩恵をここで言う)

(聖体拝領後の祈り) 良きイエスは、なんと謙遜であろうか!あなたは全てを与え、私は友であり神であるあなたを抱きしめます。あなたを裏切り拒否したこの魂を受け入れ、力と愛とともに住んでください。そして私はあなたを私の中に受け取っている今、あなたを見てないけれども、あなたを信じ、あなたに告白します。あなたに触れていませんがあなたの美徳の強さを感じます。私は盲目で惨めで傲慢ですが、あなたの全能を賛美します。しかし誰があなたの愛の強さを適切に評価することができますか?常に子羊の王座の周りにいる天国の天使と聖人、あなたたちは主の深さと喜びを完全に調べる必要はありません。おおマグダラのマリアよ、あなたと私の主を心に保持しているこの幸運な瞬間にあなたの愛を貸してください。そしてイエスよ、この心に赦しの声を聞かせてください。「罪深い魂よ、あなたはたくさん愛したので、あなたの罪は許されています」。イエスよ、あなたは名前でマグダラのマリアを呼ばれたように、私の魂のためにも名前で呼んでください。使徒たちを活気づける友という甘美な称号を、あなたは繰り返します。使徒たちは著しい恩恵をこのように喜ぶだけでなく、私たちにもあなたが友と呼ぶことを喜びます。友と呼ばれるのに値するために、偉大な神よ、今私たちは何をしないといけませんか?困惑におおわれ愛の火が付いたあなたの足に倒れることなく、一体だれがこの言葉を聞くことができますか?そして一体誰が、あなたが友と言うことを聞いた後、その喜びの感情から悪化し、再びあなたを侮辱することができますか?しかしイエスよ、あなたは愛の源です。いやむしろ愛そのものです。あなたのために働き、あなたのために苦しみ、あなたのために死に、あなたのために生きるようになるために、マグダラのマリアの死のように強い聖なる愛の火、あなたが燃やしている決して消えることがない愛の火を私にもつけてください。エマオの二人の弟子のより幸運である間、私の心は復活を疑う二人の弟子よりもっと頑固です。あなたは、彼らとともに食卓に座り、パンをとり、割り、与えました。しかしこの時間、あなたから頂いたのは別の良いパンです。私の神よ、私はあなたをパンのしるしの下で受け取っています。私の闇が彼らの精神の闇より深いにも関わらず、私は今あなたを恩恵とともにだけでなく、御聖体の秘跡の中で完全に全てを受け取っています。そしてエマオの弟子のように目がさえぎられていないなら、私はどうしてはっきりと感動しないのでしょうか?そしてエマオの弟子のように頑固でないなら、なぜ心は燃えないのでしょうか?神であるイエスよ、この心に触れ、私の心を変えて、あなたの御心に私の心を結び付けてください。そうすれば私の精神は照らされるでしょう。そしてもし時々あなたがあなたの御顔を隠さないといけないと考えるなら、少なくともあなたの苦しみを私から奪わないでください。あなたが二人の弟子に言ったように「メシアはこういう苦しみを受けて栄光に入る」(参照.ルカ二十四・二十六)ことを理解させてください。おお、この日にイエスの復活を見て、触れ、御足を抱きしめ、そして崇拝した聖なる婦人たち、恵まれたマグダラのマリア、聖なる使徒と弟子たち、私の愛する父聖ヨゼフ、聖なる家父長、イエスとともに復活した旧約の義人たち、栄光の救世主によってリンポから解放された私たちの始祖、あなたたち全ては、この私の魂の周りで賛美、感謝、愛、祝福の賛歌をこの共通の解放者のために繰り返してください。おおマリア、この日あなたの息子の勝利とともにあなたは勝利を収めたので、もはや苦しみの母ではありません。あなたのたくさんの苦しみと人となられた神のたくさんの御血を必要としたこの魂を失わないために、彼の復活によって、私を罪の死から復活させてください。おお主よ、私も全人類の体の復活を待ちます。あなたのご復活は、審判の日である私の復活の模範です。あなたの御体は栄光と不死の賜物とともに復活します。私の体もまた、そのような賜物をもてますか?あなたの息子である私は右もしくは左?どちら側に行くのでしょうか?おお、憐れみ深い御母よ、あなたは私の希望、罪人と神との仲裁者、最後の拠り所です。あなたは私の心が神に誠実で忠実になるように私に取り次いでくれます。従ってこの聖体拝領によって私も、私の女王、私の救い、私のやさしい母であるあなたを崇めるために最後の審判の日に至福の状態で復活できますように。アーメン。(あなたに必要な恩恵のために祈りを言う)。