喜びの神秘3 イエス・キリストの誕生(ルカ2・1~20)

■目次

①受肉された御言葉が、乙女から生まれこの世界に現れる時がきます。その喜びはとても大きく、預言者はその偉大な計画の最初の努力を「巨人の足どり(詩編十八・六)で歩くように、彼は現れた」と例えて言います。ここに福音伝道者の聖ルカの物語があります。「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨゼフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。」(ルカ二・一~五)マリアとヨゼフは地上の権威に従います。その旅路は、冬の厳しい寒さの中、長く困難でした。マリアと彼女の聖なる配偶者は旅に疲れベツレヘムに入りました。二人の忍耐はなんと大きかったことか!ダビデの街で苦しんだ拒絶をどれほど完全に甘受したことか!数晩に渡り、受け入れる家、宿はありませんでした。街に入り、全ての地区を歩き、宿を探しますが、全てが宿泊客で一杯です。引き返し、頼み、求めます。全ては役にたちません。親族、友人、知人、全ては耳を貸しません。拒絶以外受けません。おお、聖なる貧しさ!御母よ、この惨めな世界で、あなたを受け入れる人を見つけられないで、このようにさまよいますか?夜明けまで、美しい母を拒否しますか?貧しさは人の目に不名誉で軽蔑されるものです。しかし神の目に計り知れないほどの価値があります。「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて」(ルカ二・六)、マリアは他の女性のように痛みが加わることではなく、神と彼女の唯一の御子を見つめ、腕の中に抱きしめたいという望みと愛が大きくなったため出産が近いことに気づきます。しかしそのような状態にあるなかで!ヨゼフが出会っている大きな苦難のなかで!寒さ、夜、暗闇、大勢の宿泊客の競争、騒々しさは、二人の心労、困惑、苦労を増やします。それでも不平を言うことはありません。二人は、神の最も偉大な計画は最も困難な試練のなかで行われるという神の神秘を私たちに教えます。

②愛する人よ、マリアとヨゼフの貧しさを称えなさい。宿には多くの客がいます。二人は貧しい姿のため、他の客が優先され全ての宿から断られます。そして、ここに、あそこに、急な道、厳しい小道を通り、町の外れにたどり着きます。そしてこの地上で最も偉大な人の唯一の避難所は馬小屋です。そこに神は、今まで創られたなかで最も神聖で最も愛する二人マリアとヨゼフを案内します。二人は神が送った手を認め、愛と忍耐で従います。神は最も素晴らしい好意で一杯になり、その従順に報いるために神の御言葉が人となることを最初に見る慰めを二人に与えます。ある日十字架上で死ぬことを予定されている赤ちゃんの出生にふさわしいこの目立たない避難所でマリアは深い観想に入り祈ります。彼女は、常に乙女で純潔な状態に留まったまま、肉においてダビデの家の頭、相続人、長男である御子を世に入れることにより、実際の母になります。受肉された御言葉は、自らの力で、ガラスを割ることなしに通過する太陽の光のように、無限に美しい乙女マリアを介してこの世に入ります。一体誰がその時のマリアとヨゼフの気持ちを表現することができますか?天使たちは羊飼いにあらわれ、生まれた赤ちゃんを主として賛美し歌います。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ二・十四)。愛する人よ、天と地の女王を見なさい。彼女は創造主の全身を貧しい布で包み、ゆりかごとして使用した馬草桶に寝かせます。そして彼女の最も純潔な配偶者を呼び、二人は今まで地上で与えなかった最初で最も純粋な崇拝をします。私たちもこの神の母と聖ヨゼフと一緒に心から喜びましょう。私たちの賛美を彼らの愛に合わせ、そして彼らの清貧、忍耐、従順、神の摂理への忠誠心をまねるように努めましょう。おお聖なる神の摂理、その配置をどんなに称賛すべきか!にもかかわらず、神の摂理を愚かな世は偶然の結果のように思っています!勅令でもって政治的な計画と自身の虚栄を達成したローマ皇帝は、預言が成就するため、マリアがベツレヘムに行き、そこでイエスが生まれるための理由にすぎません。イエスは出生の場所と時をこの世の国に明らかにすることを残すために、帝国の登録簿に書かれます。イエスは、謙遜と富からの離脱の全ての掟を支配下におく永遠の帝国の創設者となるために、馬小屋で生まれ、馬草桶に置かれます。肉の目に全てが物の影響にうつります。動物的な人間は、見えることから見えないことに達しないので物事の究極の理由が見えません。そして神が世界を支配していることに気がつきません。主よ、私はあなたの崇敬すべき摂理を認め崇めます。人は自らの判断のため盲目です。私が受け取る欠如、辱め、反対のどんな状態も全ては私のために言いようもない摂理によって許可され、あなたから来たものであり、その全ては私の善と、あなたの栄光とを立てなおすことを常に認めます。

③しかし生まれて馬草桶にいるイエスはどうゆうお方ですか?彼は私たちの神です。しかしイザヤが呼んだように本当に隠れた神です。彼は神性において御父と等しく、人性において罪以外は私と同じです。愛らしい赤ちゃん!信仰は、あなたを私の救い主、私の模範として示します。馬草桶にいる赤ちゃんは従順、謙遜、禁欲、離脱、聖なる貧しさ、そして世が尊重する全てを軽蔑し、世が軽蔑する全てを尊重する美徳をたくさん教えます。この馬小屋、馬草桶で聞かれる泣き声は何と雄弁であろう!おお偉大なる神!この日、神は人となりました。生まれ、明らかになり、人となった御言葉は、言葉のない幼子です。全能の神は弱い赤ちゃんです。愛する人よ、わずかなわらの上に置かれ、馬草桶の硬さによって不快感を与えられている小さな体を見なさい。彼の繊細な体は厳しい寒さで苦しみます。そして苦痛ではなく、あなたの罪を洗うために涙を流し、愛すべき目が涙で覆われます。あなたはつかの間の快適を大切にし、とても心配しながら探しますか?イエス・キリストは、御父のご意志に完全に従順であり、彼の純真で無垢な体で多くの厳しさと付き合います。彼は、あなたが持つ罪の体と幸せの敵である多くの弱さを望みました。彼は神聖で繊細にもかかわらず体を望み、地上でわずかなワラの上に置かれます。主は、救いのためには危険である私たちの肉への愛、偽りの安らぎを十分に知っていたからです。それらは、救い主が私たちのために耐えた苦しみの実と、そこで手に入れた功徳の全てを失わせます。「ああ、お願いだから」。聖ベルナルドは嘆きました。「もし天国でないなら、私たちは自己愛から自由になれないであろう」。もし肉の弱さのない自己愛が、堕落で覆われていないたくさんの天使を地獄に落としたのなら、なぜそれらの情熱を捨てないのか?あなたを拝みます、受肉された御言葉よ!あなたを拝みます、生ける神の子よ!あなたを拝みます、肉に覆われ、そして惨めな私にあなたを与える真の神よ!私の魂に、あなたの恩恵と共に来てください。そして私の真の救い主になってください。この世の全ての罪を見て流すあなたの最初の涙は、なんと、私を悲しませることか!私はすでにこの地上と私の体についての配慮に人生の大部分を犠牲にしました。私に残っているものは、天国の功徳のためにほとんど価値はありません。私の神よ、あなたに役立つたように私を変えてください。私は、私の罪によりあなたを貫きました。そしてあなたと共に心からそれを泣きたいのです。しかし天を開いた神の涙を届けてください。私の魂の盲目を回復するため、私の目を開くため、あなたの涙を届けてください。甘美な涙により私の心の全ての汚れを洗ってください。おお、永遠の御父の心を貫いた涙よ、私の心も貫いてください。そして神の愛で私の心を燃やし、この世に対しての憎しみを増やしてください。マリアよ、ヨゼフよ、私は聞いてもらえるのに値しませんが、あなたたちの執り成しで全て与えられることを願います。

(清貧) 普通の食事で満足することで粗食を愛し、そして華やかさとうぬぼれを捨てるために質素な服を着ることで清貧を愛しなさい。必要なもの自体が不足していることに忍耐とともに苦労し、富を望もうとせず、富の損失を悔やまないようにしなさい。

(短い祈り) おお、マリア、あなたは私の真の母であることを常に思い出させてください。

(聖体拝領前の祈り) 私の救い主よ、私のところに来て、私の心の中で生まれてください。私はこの世でよそものとして、心の貧しさ、心の謙虚さ、そしてあなたが馬草桶でいたように忍耐強く、従順な恩恵を期待します。神のイエスよ、あなたは私が完全な人間になるために人となりました。あなたは全ての罪から私を解放するために産着に包まれ苦しみました。あなたは、このあなたの祭壇と永遠の栄光に私を受け入れるために馬小屋の中で横たわることを望み、天国まで私を引き上げるために地上に降ってきました。そして、あなたが宿屋から断られたときの苦しみは、私に天国の住まいを約束します。主よ、私は見ます。愛はあなたを引き寄せる全てです。そして愛はあなたが求める全てです。この瞬間に、あなたは別の火で私たちが燃えないために、この燃えるような神の火で、全てを私たちに届けます。あなたはさらに失った全ての上にもその火を広げます。しかし彼らは、あなたの心が広げた炎に心を閉ざすのでその火を失います。主よ、私はあなたに心を開き、あなたの愛に完全に身を委ね、あなたのためにたくさん働くことを望みます。なぜ無限にあなたを愛するために無限の愛を持たないのでしょうか?天の赤ちゃんであるあなたはそれを与えることが出来ます。そして無限にあなたを愛するために、今日、私はあなたを拝領することを望みます。来てください、私の健康よ!来てください、私の栄光よ!来てください、あなたは永遠の私の望み、被造物の幸福です。砂漠のように乾いた、全ての善に空っぽの、そして全ての悪で一杯である私の心に来てください。おお、マリアよ、あなたは息子のために宿屋を見つけませんでしたか?私は私の心を宿としてあなたに捧げます。私の心は宿としては寒く、ふさわしくないのは真実です。しかし、あなたは神の母、恩恵のために大きな力を持ち、全ての恩恵の分配者ではありませんか?私の心を変え、あなたのようにしてください。あなたが信心深い羊飼いたちと、聖なる三賢者に与えたように、あなたとヨゼフの手から、あなたの御子を受け取らせてください。おお、天使の招きに従い、馬小屋に行った聖なる羊飼いよ、あなたたちが示した模範はなんと貴いことか!あなたたちは天使に同意し、日が出るのを待たずに馬小屋に向かうため夜に出発します。それを信頼とともに行い、不安になることなく呼んでいる天使たちに羊の群れの守衛を任せます。私はあなたたちの熱意よりなんと遠く離れていることか!愛する人よ、あなたも急いでそして止まることなく主の天使(地上では司祭)が示した道を歩きなさい。もし神があなたに求めるところに完全に到達することを、あなたが望むならば、熱意をもって、すぐにそこに向かわなければいけません。おお、聖なる三賢者よ、あなたたちの信仰を貸してください。そして、幸福な夜に生まれた救い主を讃えた天の軍よ、この荘厳な瞬間に私を助け、私のために祈ってください。おおマリア!私の惨めさを憐れんでください。そして、あなたの胎内にイエスを宿した九カ月に受けた無限の恩恵によって、イエスを望むために燃える心、イエスを受けるために清い心、イエスを全く失わないために忍耐強い心を私に与えてください。(ここで、あなたが必要とする恩恵を言う)

(聖体拝領後の祈り) 赤ちゃんであるイエスよ!あなたが生まれた馬小屋よりもとても酷く、とても貧しい住まいである私の心にあなたはいます。あなたの優しい愛と深い謙遜のこの行為に導いたのは誰ですか?私はあなたの足にひれ伏して、マリアとヨゼフが生まれたばかりのあなたに行った同じ行為と同じ愛で崇拝します。貧しい布に包まれ赤ちゃんを私の神として信じます。信心深い羊飼いと天使たちに、私の心と霊魂を結び付け、彼らとともに、あなたを崇拝し、賛美し、感謝します。全てを私に与えるあなたに対し私は何を返すでしょうか?私もまた三賢者のようにあなたに贈り物をすることを望みます。しかしあなたの目にこれほど貧しく、このように悪く、そしてこのように不潔で、たくさんの罪を持ち、恩知らずである私は何を与えることができますか?主よ、私は貧しい!しかし豊かで強いあなたは、私があなたに捧げたその瞬間にあなたの豊かな恩恵を私に与えませんか?それゆえ、私は私が持っている全てのものをあなたに捧げます。あなたに私の心を捧げます。私の心をあなたのように清く、謙遜にしてください。あなたのために生き、あなただけを望み、あなた以外を愛さないために私の意志と私の魂の能力全てそして私の体と私の感覚の全てをあなたに捧げます。私の犯した罪を赦してください。そしてあなたが私に与えた望みを見てください。あなたに祈り、あなたを愛し、私のために流した涙をぬぐうことを望みます。しかしあなたを泣かせるものがまだあります。そして私の盲目な精神がそれを知ることを邪魔します。主よ、私の霊魂を見ているあなたは、私を苦しめる悪をあなたのなかで癒してください。そしてイエスよ、私の父よ、私の愛する方よ、あなたが望んでいる恩恵を与えてください。今、喜びの家である、あなたが泣いている家に行くことがよいことがわかります。この人生で泣くことは別の幸福を作るからです。それゆえあなたが泣く馬小屋に何回も入ることを望みます。その馬小屋はこの地上で大きい喜びの宮殿に違いありません。地上で最も純粋な喜びはあなたとともに涙を流すことよって味わいます。それゆえ私の愛によってあなたと、あなたの愛によって私と一緒に、私たちが泣くために私を受け入れてください。あなたと泣くことはなんと甘美か!そして精神が肉の重さで抑圧されず、あなたを常に、常に所有するために、この世とこの体の楽しみから引き離してください。親愛なる父、聖ヨゼフ、心優しい母マリア、あなたたちを通して、あなたたちの息子である赤ちゃんに、私の全てを贈り物として捧げます。それを受け取ってもらうために、私の心をあなたたちの愛とイエスの愛とで満たしてください。アーメン。(あなたが必要とする恩恵のための祈りを言う)。